総会運営、問われる当事者意識
5月は魔の季節?
管理会社のマンション担当者にとって、5月は「魔の季節」だ。
一般の組織や団体と同じように、3月末に年度末を迎える管理組合は多い。さらに、管理規約の見本である「標準管理規約」に「総会は新会計年度開始以後2か月以内におこなう」と定められているため、それに倣い5月に総会を開く組合が集中している。
私はマンション担当者をしていたころから、総会前は眠れなかった。しかも、総会が無事に終わった夜ですら、眠れないのが常だった。
緊張とストレスに満ちた総会運営
総会の前日は、議案説明を頭の中で何度も反復し、想定される質疑応答を準備する。当日は、会場設営、出席者確認、議案説明、議決のための票数確認、さらには総会終了後の新期理事長選任会議まで、ほぼ一人でこなさなければならない。
神経を張り詰めた状態で臨むため、終わった後も緊張は簡単には解けないのだ。
上司であり師匠でもあった係長からは、「総会の失敗は理事会の恥だ。」「理事会をサポートする管理会社は、総会を成功させる義務がある」と、厳しく教育されたものだった。
ここでいう“失敗”とは、単なる段取りのミスではない。上程した議案の否決や見送り、長時間会議が紛糾するなども失敗といえる。また、出席票の確保も重大任務だ。出席が足りなければ、総会そのものが成立しない。このように、担当者にとって総会は、常に緊張とストレスに満ちた場なのだ。
ただ座っているだけの、マンション担当者
しかし、中には総会の合間に市民プールで泳いでストレスを発散しているという強者もいた。いったいどんな修羅場を乗り越えたらそのような余裕を得られるのか、畏怖の念を抱いたものだ。
一方、マンション管理士として独立後、総会に出席してみると、私が慣れ親しんだ総会とかけ離れたものが展開されていることに驚いた。管理会社の担当者が何の役割もはたしていないのだ。
ある組合では、担当者は総会議案書を作らない。当然、議案の説明も票の確認も一切行わず、質疑は指名されたときのみ最小限答える。“ただ座っているだけの存在”だった。
問われる「当事者意識」
思わず、「管理会社は理事会をサポートしていない!」と総会後に苦言を呈したが、だからといって、かつての私のように、管理会社がすべてをお膳立てする総会が良いわけでもない。裏を返せば主体である組合員の『当事者意識』を奪う行為でもあるからだ。
そうした場では、管理会社が作成した議案書にほぼ全員が「賛成」し、審議もないまま総会が終わる。このような「無関心」が組合運営にもたらすものは、“管理会社の言いなり”という麻薬だ。抜け出せず、重い金銭的負担が組合員にのしかかる。
こうした状況に陥らないために、組合員は総会の場に出席し疑問点をぶつけ、理事会は丁寧に説明する必要がある。時には議案の決議を見送ることもあるだろう。決議できないことは恥ではないと思う。
今でも、苦手
管理会社の担当者ではなくなった今でも、総会の夜はやはり眠れない。あの、“市民プールでひと泳ぎ”などという余裕は、いまだに持てそうにない。どうやら、精進が足りていないようだ。

コラムあとがき
ある管理組合の総会で、工事議案に対し、「反対意見が多いため、決議を見送ってはどうですか?」と、進言したことがある。
理事会側から招聘されている私の立場としては、思い切った提案だった。
「反対意見が多い」だけが理由ではなく、工事の費用が相当高額だと感じたからだ。しかしその議案は混乱の中採決された。
あの強行採決は、組合の分断を深めることにつながったのではないだろうか。
管理会社の提案を100%採決するだけの組合よりは、よいといえるのか。
どうすることが正解だったのか、今でも答えを見つけられていない。
